心理変化リバース

リバースした。

 

もう一度言うが、明日には「やっぱやーめた。あほらし。」ってなってるかもしれないんだからね(笑)

 

って書いてたが、まさにそうなった。

 

やっぱ、会社行きたくない(笑)

 

昨日のは一時の気の迷いだったか。でも、ボーナス貰ってから辞めるために、あと何日かは行かないとなー。明日は行けたら行きたい。

 

エリートから転落とか今は全然気にしてない。山に行ったからかな。何か気分が変わった。てかそもそもエリートと呼ぶには厳しいし。エリートに必要な能力もないし。

 

やはり、収入低くてもステータス低くても、自分が好きなことをやるのが一番であることに変わりはない気がしてきた。今日山を登ってると。

副次的にステータスや金が入ったら、それはそれで喜ばしい事。ステータスはあんまいらないか。

 

でも、好きなこと、よりも、できること、かもしれない。貢献感が得られるもの。

 

何か昨日の記事は自分の醜い部分が思いっきり出てて面白いな。でも、人間の性格というのは普遍的じゃないんだなあ。今はできる仕事をして貢献して、そこに普通の仲間がいれば、それ以上何もいらないじゃん、と思ってるけど、昨日は「そんなのやだ!俺はエリートに囲まれていきていくんだーーーー!」とか思ってたんだから。

 

大体、僕が求めてる知性は、学歴で決まるようなものではなく、何というか、人生の深淵に対する洞察力というか、そういう感じの知性だったのに。本来は。まーでも、やっぱり、そういう知性も、学歴的な頭の良さと、ある程度相関関係はあるんだけどね。絶対ではない。

 

昨日のは、完全に洗脳されてましたね、あれ。テレビやら何やらが提出する価値観に飲まれてましたな。気を付けねば。

 

なんだかんだ言って、僕は結構小賢しくて、自分に適した人生航路を、無意識的に、本能的に、選択していたんだなー、と思う。エリートで金持ちになるより、ゴロゴロしてられるほうがやっぱり重要な体質なんだ。

でも、それだけもしんどいんだ。だから、自分の好きなこと、できることでもって、無理のあまりない範囲で貢献し、貢献感を持てるようになり、また、そこで仲間ができれば、それで十分なのだ。

きっと、僕がしたいような対話ができる人もいるだろうし。今でもいるけど。

 

とにかく、僕は無理できない体質だなー。昨日みたいな気持ちになる日なんて、せいぜい一年に一回くらいですよ、多分。

 

棚ぼたで手に入った学歴と職歴も、まあ使えるかもしれない。職歴はあまりに短すぎると思うけど。発達障害があるので、障碍者枠とかも考えられるし。

 

そう、そもそもやっぱり、発達障害があるから、エリート的な、全能力が万遍なく高い、みたいな仕事は無理があるのだ。

 

うんうん、やっぱり無理だ。奇跡でも起きない限り。

 

なーんか気が楽になったなー。

 

あと、昨日の記事では、「あっち系」と名指してこき下ろしをしていたけど、やはり彼らと目指すところが似ている部分もあるし、何で昨日あんなに憤りが文章に表れたんだろう。

あれだな、多分やっぱり僕が勝手に信用しすぎてたり依存しすぎてたり、あと洗脳され過ぎてたんだな。で、裏切られた―!とか思ったんでしょう。お子ちゃまだなあ。

 

まあでも、ある意味脱洗脳されたのは確かで、そういう人たちの言うことが全然普遍的でないことも事実。本人は普遍的であるかのように語っているが、ど~んなに賢い人でも、普遍性を語ることはできないんだ。できるのは、普遍的であると勘違いすることだけなんだ。そして、それでいいんだ。僕は、その都度、適切な洗脳を選び取るだけだ。

 

つまり、昨日は洗脳を選ぶ間もなく洗脳されてたということだな。せっかくなんだから、普遍性は得られなくとも、普遍性に「近い」洗脳を選ぶべきだな。

そして、それは心穏やかなものであるはずだ。それが一つの指標になる。多分

 

ところで、ここまで書いておきながら、またリバースしたら、それはそれで面白いな。