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人生のゴール 内発性 新しいタイプの共同体の構築

休暇が続いている。何かしようと思うのだが、いざ休みになってみると、あまりやる気が起きない。これは、苫米地によると、人生における「ゴール」が明確でないからだ。ゴールが明確ならば、それに向かって動くことが喜びとなるので、動く。

しかし、最近になって思うのだが、自分はもしかして、家でゴロゴロしているのが「ゴール」なのではないか。僕は本当に怠け者で、全国の28歳の、28年間寝そべって過ごした時間をそれぞれ計算して上位から並べると、自分はかなりの上位に食い込むだろうと予想している(弁解になるが、親に特別に迷惑をかけているわけではない。働かない分、出費を抑えて暮らしてきた)。

しかし、本当の本当にゴロゴロして過ごすのがゴールなのかと聞かれれば、やはり違う。社会貢献をして、人々から感謝されるような、やり甲斐のある人生が送れればなあ、と本気で思うことはある。しかし、そのような願望は寝て起きると消えていることが多い。社会貢献よりも、「このまま寝ていたい。それさえできれば天国だわ。」と思ってしまうことが多い。

思うに、自分は「利他性という才能」が低いのだ。もちろん、人間誰しも基本的に自分が第一だが、特別に利他性が強い人々がいる。そのような利他性は、「内側から自然と湧き上がってくるもの(内発性)」であり、無理矢理に利他的になろうとしてもなれない。無理矢理に利他的になっても、それは結局、「利他的になりたい!」という自分の利己的な願いからくるものだったり、「社会的生物である人間は、利他的でないと生き辛い。だから、利他的になろう。」という、これまたやはり利己的な損得勘定に基づいていたりする。

もちろん、ここで強調しておきたいのは、そのように無理矢理に利他的になることを、僕は全く否定しないということだ。むしろ激しく肯定している。よく、ボランティアとかを偽善扱いしている人がいるが、僕からすれば、「やらない善より、やる偽善」だ。文句を言っているだけの人より、偽善であっても動いている人の方が何百倍も素晴らしいと思う。それが長続きしなくても、だ。

ただ、自分には、偽善の才能すらないようだ。内発的な利他性など望むべくもない。僕は、とにかく利他的であろうと思われる人の本を読んだり、その考えで自分を洗脳しようとした。けど、自分の利己性には全く敵わなかった。

この件に関して、今日、宮台真司が喋っている動画で、衝撃的な見解を聞いた。↓

www.youtube.com

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PART2の21:30くらいからのやり取りを引用します。

宮台(以下M)「ピアジェとかコールバーグのね、認知的発達理論の立場から言えば、意志を支える情動のベースっていうのは、臨界年齢、つまりクリティカルエイジが早いんですね。」

神保(以下J)「何歳なんですか?」

M「それは、いろんな局面があって一概には言えませんけれど、おそらく3歳~5歳の間だというふうに思いますね。どんなに遅くても思春期前期11,2歳ということですね。だから20歳にもなって、情動の、つまり内発性の枯渇した人間に、それをインストールすることはできない。」

J「ああそう。」

M「できません。できるかなー、とちょっと思ったんです。~略~・・・やってみたら、やっぱりできない。特に男についてはできない。男ってすごくディフェンスなんですよ。あの、プロテクティブ・・・」

J「女はいけそうなんですか?」

M「女の人の方が見込みがありますが、ただ時系列で言いますと女の人の劣化もすごい勢いで進んでいるので。で、今、僕は、戦略を切り替えて『親業教育』しかないと・・・(略)」

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つまり、親に特定のルールを守らせて、子供の内発性を滋養する、ということですね。もう13歳から上は内発的な利他性を滋養する見込みがないから。

僕は正直、「そ、そんなぁ~」と思った(笑)

でも、僕が様々に努力してきたにも関わらず、内発性を獲得するに至らなかった、という(暫定的な)結果を見るにつけ、これは当たっているだろうという実感がある。

一方で、だからといって完全にあきらめたわけでもない。

だって、この説はあくまで一般論であって、例外もあるはずだ。自分がその例外になりたいという想いは、甘いと思われるかもしれないが、そんなこと言っていたら何の希望も持てなくなる。V.E.フランクルの『それでも人生にイエスと言う』にも書いていたが、「どんな人生の出来事があなたを待っているかは、誰にも分からない」のだから。

そもそも、宮台はその断定口調が特徴だが、こんなこと断定できるはずがない。対象としているのは人間、しかも人間の中でも特に複雑な『心』であって、「火に水をかければ火が消えます」というような単純な話ではないのだから。

ただ、宮台の言う傾向が非常に強固なものであるというのは、間違いないであろうが。

自分の場合、思春期までを考えたとき、確実に普通ではなかったと思う。ある意味、内発性を滋養される環境だったかもしれないと思うのだが・・・むしろ、臨界年齢を超えた中学・高校くらいからが、内発性に乏しい時代だったように思う。

まあ、このような楽観視はさておき(今の僕はとても自己防衛的(ディフェンシブ)な面が多い気がする)、これからどのように内発性を獲得し、内発的な人生を歩むかである。

 

なるべく、内発性に満ち満ちていて、エフィカシーが高い人物に多く会い、なるべく長く時間を共にすることだろう。しかし、僕は人間関係を始めるのも構築するのも得意ではない。まあ、できるだけやるしかない。

一人の間にできることは、とにかく感動したり情動を揺り動かされるようなものに多く触れることだろう。

革命的な解決策はなく、チビチビとやっていくしかない。僕の場合は、中々、無理矢理に利他的に行動することはできない。僕はかなり「無理がきかない」性格なのだ。まー、達成できなければ仕方ないとも思っている。死ぬことはない。

 

ちなみに、動画のPART1の30分過ぎ(くらいから?)、国家のような大きな単位を仲間と思えるような特別な時代はもう終わりつつある、というような話もしていた。「民主制は2万人以下でしか機能しない」とか。友人が、もっと少ない人数の共同体であるべきだ、みたいなこと言っていたのを思い出した。

「見ず知らずの人間(例えば、僕にとっての日本人全員)が『我々だと思える』っていうのは、とってもありそうもない奇跡なんですね。で、その奇跡をどうやったら維持することができるんだろうかっていう意識を19世紀の末にこの人達(デュルケームウェーバー、ジンメール)は既に持っていたんですね。」・・・天才だなあ。

 

PART2でも、

これから国に頼ることができなくなる(更なるグローバル化などによって、国の税収が減少。生活保護や年金もやばいんでしょうね)、という話をしていて、同じ友人が、国に自分の身を任せることの恐ろしさを強調し(水俣病など)、同じように年金や生活保護の打ち切りの可能性を話していたことを思い出した。国が剥き出しの個人を直接支える、というシステムはもう無理だ、ということだ。

そこで、アンソニーギデンズを引用して、「個人を支える社会を支える国家」というモデルしかない、という。つまり、僕たちは共同体を自ら構築していかなくてはならない、ということだろう。生き残るために。これも同じ友人が言ってた通り(彼はムラを作りたいといっていた。)。

希望に感じることも言っている。「必要なのは、物理的な相互扶助というよりも、知識社会化。頭の中での共同体が必要。物理的な距離は関係ない」みたいなこと。で、知識社会化の妨げになっているものは、「閉鎖性」である、と。「古いタイプの共同体では、知識社会化は無理。」と。

J「物理的に近い必要性はないのね?」

M「全然ない。インターネットの時代であるし、流動性もあるからね。村起こし隊みたたいなものが、NPOとして行って、助ける。今どんどんやってますよね。ピースボートからスピンアウトして、どんどんやっている人もいますけれども。」(さっき言った友人の友人が、村起こし隊をやっていた)

J「情報を共有していて、ある程度価値判断は共有できなきゃいけないってことですね。」

M「はい、しかも、ある種の内発性ですよね。『助けたい』っていうふうに、すごい思うような、知り合いネットワークのようなものも、なければ駄目なんですね。そうしないと、とてもじゃないけど続かない。」

 

PART2の25分過ぎくらいからは、ポケモンGOに関連して、拡張現実の話。これから社会はどんどんクソになるので、拡張現実に軸足を置く人間が増える、と。映画『コングレス未来学会議』のようになっていく、と。しかし、よくよく考えてみれば、官僚の支配ゲーム、一般人の恋愛ゲーム、資本主義の中の経済ゲーム・・・すべて拡張現実だ。最終的には、拡張現実内で「自意識」まで変えられる(映画『バニラスカイ』)。そういうレイヤーに生きるようになると、人々には、社会を回していく力はなくなる。そして、人間の感情が豊かだった時代のビッグデータ処理を行う機械が、人間の感情的な相手になるだろう、と。

 

まあとにかくネガティブな話のオンパレードだが、見方や使い方によってはポジティブになる。何より、「クソ社会への抗いは、マクロなレベルでは無理だが、ミクロな限られたレベルでは、まだまだ、永久にできるだろう。劣化集団から自分たちを守る。見えない形で。」ということだった。

 

ブディストかつ東大名誉教授(惑星科学)の松井孝典の話もおもしろかった。「全ては泡のようなものである。知的な文明も、消えては生まれる。そういうプロセスの中の一環だから、僕たちも消える。でも、消えると別のところで生まれてる。十分じゃないですか!(ニコニコ)」ということらしい。パンスペルミアの学説もおもしろかった。

 

この動画、マジでおもしろいのでオススメです。