効果

自分や自分の行動、考え方、感情などを否定するような全ての情報を逆に無限回廊的に否定し返す、という方法

 

早くも効果が表れている。劇薬なのではないかというくらい。

 

明らかに思考の方向性が変わった(前にもこんなこと書いてたな)。

 

自分で考えだした概念(作法、思考方向)が、明らかに自分の行動やエフィカシーを変えた。もちろん、特にメタでない現実世界では、一過性のものである可能性も高い。

 

なぜだろう。否定というネガティブな方法が、ポジティブな結果を生み出している。

考えられる原因は、自分の今までのエートスみたいな根深いものに影響を与えているからではないか。僕のエートスは破滅的で暗いネガティブなものだったということだ。ここ最近の生活、そして映画などの影響もある。絶望的なものばかり見ていて(レクイエムフォードリームなどなど。もう目を背けたくなる)、エートスのネガティブ性に拍車がかかっていたのだろう。

自分のエートスがネガティブであるという、そのことにさえ気付かなかった。というか、今獲得した視点から見ての話だが。

ネガティブとネガティブをかけるとポジティブになったというイメージがある。

-×-=+ というか。

そういう意味で、もともとポジティブなエートスを獲得している人には、この方法は合わないかもしれない。分からないけど。僕にしても、この方法は受容性を得るための一つの方法であり、必要に応じて捨てていく方法だろう。でも、今はそれよりもこの思考方向を忘れないことの方が大事かな。

 

何回か前の記事で書いた「突然変異」とも呼べるかもしれない。概念の発明と、それのインセプトによる突然変異。でも、これまでが破滅的かつネガティブすぎたので、解毒には時間を要すると思うが。だって、書いてる鼻から不安感が頭をもたげてきてるし。

 

それで良いんだ。揺らいでて良い。主に会社のことと、これからの自分の生活・人生に関することで、超絶ネガティブになっていた(本当にそうなっている時は、そのことに気付くことすらできない)。

また揺らぐだろう。

でも、それでもいいと、「今思えていること」が大事なのだ。そして、それは未来に繋がっていく。

 

今まで目にし、聞き、出会って僕の思考や人生の深淵への洞察を賦活してくれた全てのものは洗脳でもあった。しかし、「ある種の」脱洗脳のために必要な洗脳だった。それらに感謝。そして、それは洗脳であってもなお、今でも僕を支えている。その洗脳を前よりは自由に選び取れるようになったということもある。これこそが僕なりの脱洗脳だと言っても良い。本記事一行目の方法、この劇薬がそれを可能にした。

もうネガティブを赦す。僕は、ネガティブを恐れるという状況を恐れていたのだ。

つまり、逆説的に、ネガティブになっていいしネガティブを恐れていいんだよ、と思えたことが、ポジティブなことなのだ。

 

さあどうなるか。