続き

・①洗脳に気付いているのに洗脳から抜け出せない、②洗脳に気付いていない、③洗脳に気付いて洗脳から抜け出せている(ある意味、抜け出せないと悟っている)の順番に、辛さが減っていく。

奴隷意識で考えると分かり易い。奴隷であることに気付いているのに奴隷から抜け出せないのが一番つらい。奴隷であることに気付いていないのが次に辛い。奴隷であることに気付いて奴隷から抜け出している(ある意味、奴隷から抜け出せないと悟っている)のが一番マシ。

 

・洗脳や奴隷という言葉を虚無、抑圧という言葉に置き換えても同じ。

 

・自分は、一番辛い状態だった。つまり①だった。だからこそ、洗脳も奴隷意識も虚無も抑圧も人一倍強かった。でも、だからこそ抜け出せたと言える(③)。いや、抜け出すところまでは行ってない。「気付いた」レベル(③´)。でも、この一つ前の記事でも書いたように、③´でメタ的完成系とも言える。

PTSD(Post Traumatic Stress Disorder)とPTG(Post Traumatic Growth)の両方。表裏一体性。学習性無力感と楽天性の表裏一体性と似る。

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→過剰。共同幻想で吸い取れなかった個々の部分。孤独だが根源。

自分の特殊性はそれに向き合わざるを得ないところ。メタ根源

 

a)多分、強さ的にも、③、③´、②、①、の順に強い(「『全て』変数」によって変わるが、傾向として)

 

・万人に対する万人の闘争は駄目と言われているが、違う。なぜなら、それ自体が一つの思想であり洗脳でもあり、かつ思想でも洗脳でもない。本当のぶつかり合いは、それにも気づいた③や③´の人たちのぶつかり合い→これこそ「人の業」だが、これこそ素晴らしい良い事。ここから「本物の」物語、「本物の」ドラマが生まれることが多い。

・洗脳(非洗脳でもあるが)はだめ!も違う。なぜなら、それ自体が洗脳

・そして、「全て」が何を選ぶのか。

 

・なぜ、ドラマ「リバース」に惹かれたか。よく見れば、このドラマは③や③´の人たちのぶつかり合いだから。いや、気づいたからそう見ることができるだけで、あらゆる「本当の」ドラマ・物語、あらゆる「本当の」歴史がこれ。

・これに気付けば、各人独立しており、個々の思惑を持っており、一枚岩なんてことはあり得ないことに気付く。しかし、現在は資本主義の一枚岩になっているように見える。しかし、③や③´の人々は、違う。資本主義に洗脳されながら洗脳されてない。気づいた人々。

自分で言えば、会社の人間もそう。一枚岩であり一枚岩でない。①②③③´という意味でも一枚岩ではないし、③や③´もそれぞれ一枚岩ではない。

・①②は素朴に洗脳・去勢されてる。

→a)だから、③や③´が勝つ傾向(あくまで傾向。だからこそ「全て」は面白いという面も)。

 

・自分はたまに③´がある程度。③に気付けた。近づけたいという意志自体で完成系。あとは時系列的これからを見ていくのが楽しみ。自分の特殊性を挙げるなら、洗脳も奴隷意識も虚無も抑圧も先天的にも環境的にも人一倍強かったからこそ、反動で③´に行けた。(「この私」の根源?かつ、「この私」は存在して存在しないと分かっている「(この)私」)

自分みたいな一般的に言う弱者が生き残る可能性?この意味での他の弱者も。(①から③´や③へのリバース)これからはそれが試される傾向が顕著に。特別な時代に差し掛かっている。やはり世界は変転し、過去を参照できず、輪廻性を包み込む一回性。そのダイナミズムが面白い「全て」が何を選ぶのか。

 

・もともと皆③や③´だった。→必然的に①②になっちゃう。特に現代は(資本主義と拝金主義、平和ボケ、思考体力の喪失など、だが偶発性によって)。→③や③´だからこそぶつかるが、③や③´だからこそ認め合え助け合える

・①②は自信喪失。今は資本主義と拝金主義、平和ボケ、思考体力の喪失など、だが偶発性によって特に多い。ある意味それにより、「悪い意味での(良い意味でのも少し?)」万人の万人に対する闘争が防がれている。→しかし、徐々に奴隷世界に。

→でも③と③’は比較的生き残る。

 

自分の今まで親しんできた世界観を構築するのにお世話になった思想、人物ですら洗脳であり洗脳でない(伊田先生:主流秩序・拝金だめ。 東浩紀:受動性だめ などなど)。

→これらの洗脳(と非洗脳)すら、気づくたびに高揚感。受動的主体。

 

・「リバース」とシンクロしている「detiny(シェリル)」にも惹かれる。

→▽罪と罰 愛の定義さえ人が決めるものよ」・・・「人」でもいいが、どっちかというと特に「個々」。更に言えば「この私」(個々の根源。万人に対する~)→③や③´の人にしか(本当の意味では)思いつけない言葉。←「it's my destiny」も。シェリルはおそらく気付いてる。

▽「はじめから気付いていたの」・・・人は本来③や③´。はじめからそう。存在自体が常に既に、その人の結論を出してしまっている。これからは誰も逃れられない。存在という業。存在という傷。存在という宿命。

→気づく(③③´)か気づかない(①②)かだけ

 

・人に自分の考えを伝える。特に書籍で(物書き)。このことの「業の深さ」

→必ず伝播・影響し、さらにそういう人々を生み出す。永遠に続くカルマ。しかし、「この業こそが素晴らしい」。

→多分、仏教は悟ってこの業を亡くすことを目的とする。特に初期仏教というか釈迦仏教は。しかし、僕の予想では、日本仏教的に「悟れないと気づくことが悟り」。それこそが業をメタ的に亡くすこと。

 

・そして、物書き(特に思想や哲学)のもう一つの側面。

→概念から抜け出すための概念。

知識から抜け出すための知識。

言語から抜け出すための言語。

思考から抜け出すための思考。

つまり、本当の意味での「死」。辛く悲しいものとしての死ではなく、悟りとしての、生との表裏一体を成すという意味での、日本仏教的な解脱としての死(入滅)。

→悟りとは、平然と死ぬことではない。平然と恐怖に慄き、平然とのたうち回り死んでも、メタ的に大丈夫だということだ。

 

・気付けた。③や③´に向かえた。

受動的主体的に「全て」に選ばれた(選民思想とは違う)

→勝てる。少なくともメタ的に勝てる。

愉しめる。少なくともメタ的に愉しめる。これぞ愉悦。

 

これから、いくつもの個々の事例について、脱洗脳的視点を獲得できるだろう。その個々の事例をこれから書き記せたら書き記そう。