未知の未来

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国民国家、家族、所有という概念という順に歴史が長いわけだけど(最後の二つは逆かもしれない)それらが無くなるかもしれないという話。やっぱり歴史が短い順になくなっていく可能性が高い。

ここでも言ってるけど国民国家なんて日本ではできてから150年しかたってないもんね。

 

でも、「まあ生きてる間には起こらないだろう」って思うよね。

ところが、本「2050年衝撃の未来予想」(あくまで予想)によると、人間の寿命がもうどんどん延びてるわけで、IPSなんかもあるし、国民国家の崩壊くらいなら目撃しちゃう可能性大だね。

臨界点に達した時にバーンと色々変わるかもしれないし、気づいたらいつのまにかあらゆる事が変わってるかもしれない。

 

↑の動画で語られてる内容とか、ITやAIの発展ってことだけど、サイコパスってアニメでは的確に描かれていて、こんなふうになるのかな~とも思う。スゴイリアルな世界観ですよ。

でも、絶対に変わらないところもあって、所有という概念なんかはかなり手強いと。サイコパスでもそうだけど、結局格差は残ってるんだよね。

結局、人間は平等が嫌いなんだよね、多分。平等なんてつまんないと思っちゃうんでしょう。特に時代時代によって優秀の定義は変わるけど、その時代に優秀であると自覚する人間は、平等何て絶対に嫌なわけです。

 

こういうのに限らず、人間の持つ理不尽な感情が消えない限り、全然変わらない部分、つまり普遍的な部分ってのは残る。ホリエモンはそれすらもテクノロジーで変わると思ってるようだけど、宮台と東は逆ですね。

僕は宮台と東の予想が当たると思う。そして、その理不尽で普遍的な部分に切り込んでいけるものの一つに、仏教があると思う。テクノロジーはあくまで時代の変転を早めるだけのものだと思う。

内田樹の言うセンチネル(歩哨)が立つ外側の世界に切り込んでいく一つの思想体系が仏教。多くの哲学もそうだし、社会学とかも、社会だけ学問してるといつか限界に突き当たって、結局社会の外を考えざるを得なくなるらしい。社会学の場合分かり易くて、僕たちが社会と呼ぶものが、そもそも社会の外側に支えられて成り立っているからですね。でも健忘症の僕たちは、何世代も経るうちにその事実を忘れ、社会を成り立たせているリソースが社会の内部に存在すると勘違いする。本当は、過去の、社会の外の多大な犠牲によって成り立っているのに。でも、平和ボケするとその犠牲を忘れる。そして、社会が成り立たなくなって右往左往する。皆平和ボケしてるから誰も犠牲になりたがらない。そして社会崩壊→万人の万人ん駘する闘争~みたいな。

社会が成り立ってることの方が奇跡なのに、僕たちはそれを当たり前だと感じてるわけですね。

社会学だけでなく、物理学にしろ何にしろ、結局ある閉じた系の中だけで考えているといつか限界がきて、その外側を考えざるを得なくなるらしい。

 

まあつまり、テクノロジーによってめまぐるしく世界が変わるのを経験できそうなのが、僕は楽しみなわけです。でも、早死にする可能性もあることを忘れちゃいけないな。ここでも仏教が役立つな~。ホント、仏教さまさm。

 

一方で、いつまでたっても人間って変わらないな~というところも残る。そこが人類の「限界」とされるところでしょう。それは人類の定義かもしれないし、それを引き抜くと人類というゲシュタルトが崩壊するものかもしれないし、そもそも人間にはそれを思いつくことができないものなのかもしれない。例えば、当たり前すぎて。

多分、テクノロジーに限界はない。それでも変わらない、ある意味厄介で普遍的な部分は、普天的すぎて、当たり前すぎて、気づかないようなものでもあるだろう。当たり前に前提にしてる部分だから、気づきもしない。

でも、どこからが普遍的でどこからが可変的かが分からないところが面白い。え、こんなしょうもないことが普遍的だったの!とか、こんなに重要だと思ってたことが、なんの普遍性もないことだったの!とか。

 

それを知ることができるのが楽しみ。

 

でもこの動画の人たち、話し面白いからどうしても聞いちゃうんだけど、バカバカ言うのやめてくれないかな。バカからすると結構傷つくわ。