思考の断片

変顔は自我崩壊の喜び

 

タイタニック号に乗り合わせた死刑囚

 

主体不在の性は女性の専売特許(やおい腐女子)、かつ、男性は主体を立てないと性にコミットできないと思いきや、マルホランドドライブを見るとそうでもない。レズシーンが良かった。

 

やはり、一人だけを愛すって無理がある気がする。一夫一婦制って不自然。

①まず、愛する能力、愛の量に個人差がありすぎる

②愛する能力、愛の量が少ない人にとっても、一夫一婦制じゃないほうが有利(よく、愛人ではいたいけど妻にはなりたくない。めんどうだから。という声を聞きますね。まあ逆もあるんだけど)


人間には二種類いる。

自分が死ぬことを意識できている人間と、意識できていない人間。


世の中ってのはどうしようもないんだな。例えば、こんな絶望的な時代に、よっぽど財力があったり、子供を立派に育てられるだけの人格があったりしないかぎり、親にはならない、という懸命な選択をする人が増えれば、搾取される者も減り、マシな世の中になるという考えが、僕には昔あった。でも、親も自分にはできる、と思って生む場合がほとんどだ。しかし、この腐った世の中ではそうはいかない。でも、ここで親の認識力不足を攻めてもせんない。今の若い世代はだいぶ現実的になったとはいえ、これからも認識力不足の親が子供を生み、悲劇は再生産されるだろう。認識力をもって搾取される子供を生まないという懸命な判断ができる人間が増えれば、搾取の主体も困るな。でも、とりわけ人生万事滞りなく運び、平和ボケして認識力を失った人たちは、自分には愛がたっぷりある、ちゃんと育てられると勘違いして、最後には子供から自らの愛の不足、愛と見えたものが実は醜いエゴだったことを突きつけられ、自暴自棄に陥るか、ズルく目を背けて逃げようとするだろう。だが、逃げられやしない。産まれさせられてしまったと感じてしまう子の恨みは深い。ちゃんと清算されるまで、絶対に逃がさないだろう。清算するには地獄の苦しみが伴う。耐えられず大抵の親は自己弁護に走る。所詮親の愛ってその程度のもの。大体、自分の子供だけ愛するって時点で、エゴ満載だし、そんなのが本当の愛なわけないし、そんな程度のやせこけた愛で子供を育て上げられるという勘違いも自己中心的で自分に対して甘い。

歴史的、世界的に見ても、母性とか親の愛ってのは、幻想だと思う。一部の素晴らしい人を除いては。子供の幸せに全責任を負う覚悟のない人が子供を生むべきではない。言っちゃ悪いが、バカが子供を生んじゃいけない。でも実際はバカだからこそ、認識力が低い人間こそ、子供を生む。認識力が高く、内省力があり、謙虚な人間は子供を生むことに慎重になるはずだ。ホントに自分にその覚悟はあるのか?と。

結局、バカ親の不幸な子供のほうが多く再生産される。まーでもそういうのは結局社会の下層に配置される。子供はかわいそうだけど、親と同じ愚かな選択をしたやつは結局同じ。自業自得。

まーでも結局どーしよーもない。愛というより認識力の問題だから。バカは結局バカだから。学ぼうとしない姿勢は罪にすら値する。無知ですまされる問題ではない。かわいそうだけど。

警鐘の意も込めて、あえて過激に発言しました。