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映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』

を観た。

 

久々に感情を揺さぶられた映画。

登場人物それぞれが色濃い個性を見せている。

 

まず、綾野剛演じる安室。

「誰かにもたれかかりたいとか、心が満たされないとか・・・気を付けた方がいいですよ」というセリフ。

どこまでも計算高く、人を陥れ、全てを割り切ることができる、果てしなくドライに見える男。本当にドライな人間は、変にドライに徹しようとしない。人を陥れる癖に、良心もある(子供たちと遊んだり)。だからこそ、逆に究極的にドライな人物が描き出されている。

かと思ったら、その彼がラストシーン手前で、反転する。素っ裸になって取り乱す。鑑賞者としては、驚かざるを得ない。どんな人間も、どんなに自分の中の人間性をうまく操っているつもりでも、それはある時、噴出する、ということだろうか。しかし、それが爽快である。

 

黒木華演じる主人公、皆川七海。どこまでも凡人。どこまでも受動的、依存的、安定志向。でもこれらの特徴が異常なまでに強い。その意味で、異常なくらい凡人という意味で、非凡人。しかし一方で、今の時代に最も多いであろうタイプ(かな?)と思うので、その意味で凡人。という絶妙な描かれ方をしているように思う。そしてその特性ゆえに、彼女はどんどんカオスに巻き込まれる。依存が更なる依存を呼び、いつの間にか泥沼にいる。

彼女の特性は、境遇や発育環境によるところが大きいと思われる。結婚式の際に彼女の両親が登場するが、異様に見えて、ある意味典型的な親だった。本人たちに悪気はないのだが、だからこそ子供は余計に束縛される。巣立った後も、その呪いはなかなか消えない。

 

しかし、七海は、とことんどん底まで堕ちることで変わっていく。そしてcocco演じる里中真白との出会いを通して、更に変化に拍車がかかる。真白は凡人と全く感覚が違う。そして、普通は見えない世界が見え、普通は見えない人の良心が見え、普通は聞こえない<世界>の音を聞く。世界やお金に対する彼女の考え方の反転は、普通は全く発想できない。鑑賞者はそれらに癒される。

しかし、否応なく、そのような人物は「安定」とは縁遠い存在になる。

 

映画の初めから、嘘の塊のような世界が描かれる。最もそれが顕著に表れるのは、結婚式のシーンだろう。そして、安室によって仕掛けらる罠。嘘に嘘が重ねられ、カオス。七海は自分の依拠する精神的なよりどころを加速度的に失っていく。帰る場所がなくなる。自分がどこにいるのかさえ、何者なのかさえ分からなくなる。人工的に作り上げたアイデンティティに、小指一本で何とかしがみついていたのに、その指すら外される。

そんな中でも人は立ち上がっていく。そして、真白との出会い。真白にとっては、世界に嘘も本当もないように見える。ただただ、自分の感覚に正直。その「存在自体」に癒される。影響を受け、生き方を変えられてしまう。安室すら、真白の影響から逃れられず、最後の取り乱しに至る。

 

真白の母親。血も涙もなく、人として完全に堕落してしまったかのような、人として絶望的に見える母親。彼女がラスト近くで取る行動は衝撃的だ。抑え込んでいたものが噴出してくる様子は圧巻だ。その様子に感染して、安室も抑えきれなくなる。最も凡庸だった七海は、真白から最も多くのものを受けとった者として、最も毅然と十全にその場を堪能し、安室や真白の母親とは違った次元で、その場に佇んでいるように見えた。

カオスや自己崩壊を経て真白に出会い、<世界>の溢れるばかりの「何か」に出会った七海は、全く違った存在として生まれ変わった。

 

人生において、このように自分を変えてしまうような出来事が起こるのだろうか。それを確かめるために生きているという面もある。まー何もなければ、「そんなものか」だし、何かあれば、言葉は要らず、その存在自体が変わるんだろう。あるいは、それは本当はもう既に起こっているのかもしれない。

もしくは、ただ生きているだけでも、日々の積み重ねで否応なく、生きることに対するそれなりの悟性は得られるものなのかもしれない。