読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日一日の移ろいを文章にしてみる

最近、朝と昼に体がだるい。そして眠い。ベッドでずーっと寝てたくなる。夕方くらいから元気が出てきて、活動を始める。

今日も朝10:00位に起きて、12時くらいに親子丼を作ってブランチとし、食ったら眠くなってまたベッドに寝そべる。うたた寝して14:00くらいに「また山に行こう!」と思い立って、なるかわ谷に原付で向かう。

山で僕を困らせていた虫は「メマトイ」という虫だった。その名の通り、目にまとわりついてくる虫。目の汚れやたんぱく源を食すために、目に寄って来る。何回も目に入ったが、目に入ると東洋眼中が寄生することが稀にあるということを知り、今回は、Amazonで勝った防虫ネットで顔を守って登った。非常に快適だったが、すごい暑い。

山の中での夕日の木漏れ日がきれかった。友人が、自然の中には人間には聞こえない音もあり、そういうのも含めて、自然の中にいると健康になる、という記事を紹介してくれたが、それはあると思う。

しかし、昨日は公園でランニングをして、今日は登山ということで、疲れていたのもあると思うが、熱中症にかかった。防虫ネットで暑かったのも原因だろう。

最初は、下りの際に、やたらと足がガクガク震えると思った(まあ、これは普通に起こる事だろう)。しかし、だんだんと下りのしんどさに足が耐えられなくなってきた。足を踏み出す時のしんどさが震えを通して、足から脚へ、そして胴体を登り、肺のあたりまで達する感じ。肺に達したときには、それは気持ち悪さに変わっている。それが一歩一歩ごとに起こるのだからたまらない。その気持ち悪さで吐きそうになり、その場に座り込んだ。

座り込んでみると、手足が痺れ、頭が朦朧としていることに気付いた。中学のバスケ部の時、熱中症にかかった時と同じ症状だ。とにかく動きたくない。そして気持ち悪い。でも、水は底をついていたので、この暑さの中ずっと休んでいるのは逆に危険かもしれない。500mlしか持ってこなかったのが、そもそもの間違いだった。早く下って水分補給せねば。

ということで下ってみても、10mと持たず倒れそうになる。それでも歯を食いしばって、死ぬ思いで下山するが、駄目だった。座っている事すらできず、その場に寝そべる。標高が高いほうが涼しいのだから、無理して下山すると余計にやばいかも、と言い訳して、しばらくそこで寝そべっていることにした。

すると、案外に風が吹いていて、10分くらいしてからまた下った。でも、すぐに辛くなってまた寝そべる。ということを何回も繰り返していた。傍から見たら奇妙にしか見えないだろうが、本人はかなり辛い。まあ、人っ子一人いなかったが。

体に虫がいっぱい登ってきたが、こういう時は、それどころじゃなく、全く気にならない。ただ、今の体調でマムシに噛まれたらかなりやばいと思った。けど、それすらどうでもよくなるほどしんどい。

原付まで辿り着いたときは、ふらふらだったが、とにかく安堵した。何とか歯を食いしばって下山できたのは、映画「野火」を思い出したからかもしれない。下山中、何度も挫けそうになったが、あの世界に比べれば何てことはない、と思って頑張った。座席下に入っていた飴玉を夢中で舐めた。

原付に乗り、ふらふらのまま近くのファミリーマートに入ろうとしたら、中からガシャンガシャンと音がする。朦朧としたまま入ると、男数人が取っ組み合っている。良く見ると取っ組み合っているのは2人(ヤンキーとおっちゃん)で、あとはそれを止めようとしている男たち(他のヤンキー達と店員)だった。こんなバッドタイミングがあるだろうか。

正直、この時の僕は、自分のことしか考えられなかった。「立っている事すらままならないのに、今巻き込まれたらやばい。とにかくまずは水分補給だ。」怒号が飛び交うのを無視して、いろはすピーチ味を手に取る。しかし、喧嘩の舞台はコンビニの前の駐車場に移り、店員は喧嘩の対応でレジにいない。僕は、いろはすを持ったまま、ふらふらと外に出て、「こんな時にすみませんが、買いたいんですけど・・・」と、警察に連絡している店員に言った。

しばらくして、憮然とした態度で店員はレジに立った。彼はかなり動揺していた。喧嘩している二人は、ヤンキーっぽい中学生か高校生と、おっちゃんだった。多分、このヤンキーっぽいのは、普段からこのコンビニでだべり、この店員もかなり迷惑しているのではないかと想像した。

僕はいろはすをその場で全て飲み干した。生き返るとはこのことだろうか。しばらく原付の上で休んでいたが、喧嘩は収まり、喧嘩していたヤンキーはでかい態度で椅子に座り何か叫んでいた。警察が来た。体調が少し戻ったので、家路についた。

 

今日のようなことがあると、本当に、健康に替えられるものは何もないと思う。五体満足で病気がないことに感謝。命あることに感謝。富士山の時のほうが命の危険を感じたので、より強烈だった。今回はなんだかんだで何とかなると思っていたから。

「自分は助かる」と思ったとき、とてつもない多幸感を感じた。もう何もいらないというような。世の中には、あえて危険なことをする人が結構いるが、この多幸感を本能的に求めているのかもしれない。特に、生きていることに実感が持てないような人々は、その傾向があるのではないか。

しかし、しばらく安全な環境に身を置いていると、多幸感は薄れ、また日常のつまらなさに悪態をつくようになってくる。自分が恵まれている事も忘れる。周りと比較し、「もっと!もっと!」と欲望に際限がなくなる。このような忘却癖は、本当にどうしようもない。だから、人は戦争も繰り返してしまうのだろう。平和の尊さを忘れてしまうから。

 

僕はそのことを分かっていたから、「今のこの多幸感もすぐに消え去るぞ」と警戒しておいた。それでも、今、日常に戻ってからのつまらなさは中々のものだ。

急に、多幸感の副作用のように、自分の人生に対する不安が噴出してくる。しかし、そんな時は、目を開いて、目の前の現実を見ることにしている。「目の前にパソコンがあって、コンポがあって、本があって、水があって・・・この部屋があって、外には世界が広がっていて、別に何事もなく時が流れている」という風に、前頭前野を介入させ、視野を広くし、目の前の今ここを見ると、不安の妄想のリアリティが減じてくる。このやり方は、最近覚えた。まあ、うまくいかないこともあるが。

 

そういえば、大量の蟻がどでかいミミズを運んでいるのに遭遇して、何か、これが普通なんだよなあ、と思った。