山登り 福岡伸一

 

自宅から30分くらい車を走らせると、なるかわ谷と呼ばれるところがあり、そこから山に入れることをネットで知り、行ってみた。大学時代、摂津本山駅で途中下車して山を登ったり、摩耶山を登って布引の滝を見に行ったりしていたが、そこまで行かずとも近場にこんないい場所があるのかと思った。こっちの方が人が少ない、というか山に入ると一人も会わなかったので、より現実からの隔絶感を味わえた。

 

山に入ると、繭の中に籠る感覚になる。現実を忘れ、自分が何者かもしばし忘れている気がする。アイデンティティなんてなくてもいいや、何もなくていい、この時間があればそれで良い、と思える時間だ。

山に入ると毎度のことだが、コバエみたいなのが何十匹もまとわりついてくる。蚊のように刺すでもないし無害なのだが、何のためにまとわりついているのだろう、と思った。煙草を吸うと消えていく。最初はウザったかったが、途中からは何か自分の周りを纏うオーラのようだ、とか、中二病臭い発想をしていた。

途中、カタツムリに会ったり

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よく分からん虫に会ったりした。

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黄色い蝶々が飛んでいてきれいだった。

途中、マムシに注意の看板が何回も出てきて、怖かった。マムシの知識もないので、もしかしたら噛まれたらかなりやばいのか?とか思った。草むらで音がすると瞬時に身構える。都会では決して感じない種類の恐怖感。こういうのをたまに感じて野生を取り戻すことも大事かもしれない。でも、以前、夜の富士山を一人で下るはめになったときに比べたら、全く大したことではなかった。

 

やはり、自然に帰ると心が安らぐ。ここは人がいないから特にだ。時間の流れも都市と自然の中では全然違う。都市の時間の流れについていくのは辛い。やっぱりこっちだなー、と思った。

 

最近、福岡伸一にはまって、動画で見たりしているが、働きアリの話は何度聞いてもいいなーと思う。どんなにメンバーを入れ替えても、2割は必ず怠けるという。

僕は、生来の怠け者だと思う。多分この2割だ。今日もこうして仕事を休んで書いているのだから(有給がそろそろなくなってくる)。以前は好きな子に見合う男になるために、という動機もあったが、今はそれもないし。

怠け怠けて、たまに友達と会って、たまに山に入って、それ以外は読書や映画。週に何度かは人助けにつながるような仕事して。もしくは趣味が高じた仕事とか。時間に追われていないから人間性を保っていられる。少ない消費で充足したスローライフ。いいなー。でも、何か、もっと大きな「物語」が欲しい気もする。何らかの超越だ。

福岡さんは、「怠けろ」「遊べ」「自由であれ」とよく言う。遺伝子もそれを許していますよ、と。確かに、8時間労働を週5日繰り返すなんてのは、人類の歴史では最近の話であって、例外的なのかもしれない。

 

やっぱり、今の仕事は足掛けとしか思えない。こんな生活を定年まで続けるというのは、ちょっと自分には無理だろう。家庭を持っているわけでもないし、持ってもできればこんなに働きたくない。

とにかく、お気楽で生きていこうと思った。でも、仙人のように何でもかんでも諦めるわけではない。何らかの超越への欲望はある。でも、欲望を「持つ」ことは悪い事じゃない。欲望に「囚われる」ことが問題なのだ。

釈迦も、実は欲を捨てろとはいっていないらしい。囚われるなと言っているだけらしい。だよね、欲が無いって鬱の症状だからね(from "ビフォアサンセット")。