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心境の変化2

先週金曜日は会社を休ませてもらい、3連休をとったので、その間に色々考え、ひとつ前の記事のような心境の変化に至ったわけだが、更に心境が変化したように思う。

 

この間までの自分はかなり依存的になっていた。急に社会に放り出されて、突然大海原に一人放り出されたような気分になっていたのだろう。その不安を埋めるために恋愛に縋るという、ありがちなことをしていたように思う。

 

依存しようとすると、その対象は逃げるという面がある。

「求めれば逃げ、捨てれば懐に飛び込んでくる」という武道の考え(仏教的ですね)が、身に沁みる。少なくとも、「求めれば逃げる」という面は、大いにあると思う。(もちろん、求め、依存するからこそ成就する、というケースもあるかもしれない。でも長期的な目で見れば、崩壊するのだろうか。)

後半の、「捨てれば懐に飛び込んでくる」というのも、これを信じて「じゃあ俺は捨てるぞ!」と意気込んでも、その意気込みがまさに執着の裏返しだ。

だから、無理に捨てようとせず、「とりあえず横においとこう。他にやるべきこともいっぱいあるし。」くらいの感覚が一番しっくりくる。これは、視野狭窄の状態から、視野が広がった状態になることでもある。

 

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↑この動画で、「自信が無い」という人に対して高石氏が語ることが、視野が広がる感覚に似ている。

 

執着が強くなったり、相手を理想化していると、目の前の相手を見る精度が落ちる。僕も、前回相手と会ったときのことを振り返ると、見ているようで見れていない部分が多くあった。それ以上に見えていなかったのは、自分の感情や、相手への自分の感想だった。だから、相手と通じ合えている気がしなかった。

 

こういうこともあって、やはり、「理想化や空想による現実の無視」は、行き過ぎると良くないと思った。かといって、「理想化や空想の完全否定」(仏教的)も違うと、今は思う。それって、山極さんがいうところの、チンパンジーに戻れってことだと思う。

やはり、僕たちは人間なんだから、目の前のこと以外を空想したりすることによる楽しみは捨てられないし、捨てるべきではない。空想と現実が混ざり合った、よく分からない世界が、僕たちが生きている世界だろう。

 

とにかく今は、一つの事柄に執着せず、空想にも現実にも広い視野を持って、希望ベースで生きていく、という方向を目指そうと思っている。