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心境の変化 縁 運命 意志 について

一人の人を好きになり、その人のことを病的なまでに考えてしまう。「恋は病」というのは本当だなあ、と思う。

 

ここ数日、2か月以上続いていたその症状が緩和し始めている。相手への想いが消え去ったわけではないが、苦しみに苦しみを、虚しさに虚しさを重ねるうちに、緩和し始めた。いや、あるいは、熱情は変わらないが、その状態に慣れたのかもしれない。

何というか、好きという気持ちは変わらないし、自分の中で特別な位置を占めることは変わらない。しかし、だからといって次の恋をあきらめる気にもならない。ある意味、視野が広がったのだろう。関係性をもっと自由に捉えてもいいのではないかと思い始めたのだ。

 

この間までは、「この苦しみに耐えかねて、『友達でもいいじゃないか』とか思ったら負けだ!」みたいに考えていた面がある。しかし、相手と会って手応えがなかったからか(本当に好きならば、強引なところも見せるべきだったのかも知れないが、この時はそういう気分にならなかった)、「もっと楽に考えよう。今はその時期じゃないだけかもしれないし、もちろん縁が無かった可能性もあるし、この先の関係性が、友達か親友か恋愛関係か、どうなるかなんて分かったもんじゃない」という考えが、少し出てきている。

相手には付き合っている人がいるにもかかわらず、相手と特別な関係を結ぶことにあまりに執着して、視野狭窄に陥り、かえって(恋愛うんぬんを抜きにした)相手の良いところが見えなくなったり、言葉にできなくなったりする面があり、これはお互いに損である、とも思った。

一方で、結婚しているわけでもないのに、なぜそんな弱腰なのだ、という考えもあるだろう。僕もこれは考えたが、自分の恋愛経験知の低さからくる自信のなさと、相手がそれを欲しているように見えなかったことから、大胆な行動には出られなかった。

 

僕の中では、根源的な二つの考えがぶつかり合うことが多いように思う。

1、世の中は縁で成り立っている。無理をして自分の意志で何かを切り開こうとせず、縁に任せなさい。

2、運命に任せるなんていうのは、弱虫の責任放棄だ!自分の意志で行動し、どんな不利な状況でも、血反吐を吐いても、自分の意志を貫徹せよ!

1の「縁」と2の「運命」というのは、僕の中で大体同義だ。

 

恋愛というのは、縁から始まり、途中からは意志が必要になってくるような気もするし、その逆もあるし、最初から最後まで縁であったり、最初から最後まで意志であったりするかもしれない。また、意志と執着は似ているかもしれない。

 

「必然」の感覚というのは、1の感覚と共鳴するものだろうか。目に見えない縁の力を信じるということは、人との出会いも含めた必然を信じることだろうか。

それとも、必然の感覚があるからこそ、人は揺るぎない意志を持って行動するのだろうか。

 

だが、この二つは結局混ざり合う。

なぜなら、1の縁を信じるということは、結局それを信じることを、「意志している」とも言える。

また、2の「自分の意志」というやつも何かの縁によって、そう「意志させられている」とも言える。

 

結局、「意志している」か「意志させられている」かという根源的な問いになる。そして、この問いへの回答は永久に得られない。

「意志している」と考えるか「意志させられている」と考えるか、それは自由だから、好きな方を選ぶ、という考えは、「選ぶ」という行為において「意志」が発生しているので、「意志している」。(2に近い)

「意志している」のか「意志させられている」のか、そんなことは結局分からない。分からないことを自分で「意志している」とは言えない。という考えは「意志させられている」という考えだ。(1に近い)

 

どちらか分からない、分からない、分からない。。。頭で考えても分からないから、自分の体に聞くことにした。

自分は、どちらの考えの方がしっくりくるか?元気が出るか?「本質的だと思うか?」

僕は「世の中は何か見えない縁でできていると思う。人間の予測や認識の範疇を超えた、根源的に未規定なものが、僕たちの体の中にも、僕たちの体の外にも、満ちている。それらによって、『意志』が生じている。だから、意志とは、本人のものであるとも言えるし、本人のものでないとも言える。」

 

結局、自分でこしらえようとした意志など、長続きしない(宮台は自発性と呼ぶ)。そうではなく、内側から沸々と湧き上がる力(宮台は内発性と呼ぶ)や外部からの否応ない圧力(荘子の「やむを得ず」の思想)に従って生きていくしかない。この内発性が生じてもいないのに、無理に行動するのは、結局僕には性に合わない。

僕は内発性がないと動けない傾向が強い。だから、簡単に高校を辞めてしまった。米大学入学もすぐ諦めた。バイトも一か月以内で辞めた回数は、数えだしたらきりが無い。すぐに、「なぜそこまでして頑張らなければならないのか?」という問いが生まれ、それへの答えがでないという事実に、忠実に行動してしまうことも多かった。

 

あと一つ。

本当の気持ちって何だろうと思う。相手を好きだけど行動できない、という場合、「相手を好き」が本当の気持ちか。「好きだけど行動できない」というのが本当の気持ちか。

今の僕は、後者の立場だ。「好き」と「行動できない」のせめぎあいの結果、「行動できない」が勝ったのだから、それが総合的な自分の気持ちだ。

もちろん、純粋な「好き」も自分の気持ちでもあるが。。。両方大切にすれば良いと思う。

 

もうコロコロと変わるのだが、今の僕は、「世の中、何一つ確かなものなどない。全て未規定だ。全て流れに任せるしかない。その中で意志や内発性が生じたら、それは喜ばしい事。それに従えばいい。」という考えに傾きつつある。